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zoom RSS 差別について

<<   作成日時 : 2017/11/21 17:48   >>

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この2か月ほど、断続的に中学生・高校生と「差別」について考えている。

小論文や作文の指導の一環として差別というテーマを扱っているのだが、あまり形式的にならずに自由に考えを膨らませながら、そのうせいであちらこちらへ話題を飛び散らかせながら話を進めているため、なかなかまとまった授業にならないのだが。


それはそうと、子どもたちに差別にういて自由に発言させると、ほぼ全員が「差別心は人間本来に備わっているものではなくて、成長の過程でだんだんと植え付けられていくものだ。」という意味の発言をする。


私はそうは思わなくて、差別心は人間が生まれつき持っているものだと思う。

ただし、社会がある程度公平で平穏であれば、成長するとともにだんだんと薄れていく心理だとも思う。

もちろん、放っておいて差別心が薄れるというよりも、周りの大人からの指導の下に、差別の不当さと理不尽さを理解させていったうえで、子どもたちの差別心を減少させていくわけだが。


差別というのは幼児が自己防衛するための本能のようなものだろう。

ちょうと、辛い食べ物や苦い食べ物を用事が拒否するように、自分とは異なるものなじみのないものに対して、自分の生命にとって危険である可能性を感じ、拒否反応を示すのだと思う。

母親以外の見知らぬ人間に抱かれた乳児が号泣するのもそれだろう。


だから、まだまだ大人には程遠い精神状態の中学生の中に差別をする者がいるのは、善し悪しは別として、理解できないものではない。

だからと言って放っておいてはいけないわけで、上記のように大人がきちんと指導すべきだが。


問題は、社会人が差別をする場合だ。

日本では会社や組織内での差別やいじめがそこかしこで発生しているらしい。


異質なものに警戒感を抱き拒否反応を示す大人というのは、成長しそこなった精神的幼児ということなのだろう。

そのような精神的幼児はどんな社会にもごくわずかの割合で存在するのだろうが、その割合がある程度大きくなると、その社会は何か根本的に問題を抱えているとみなさないわけにはいかなくなる。


大人が自己防衛のために他者を警戒し排除する社会背景は、その社会が停滞し、他者との競争を余儀なくされ、不公平感がはびこっているということではなかろうか。

大人社会がそんな状況であれば、子どもたちの差別心を解消させられる大人も少ないことだろうし、子どもたちも大人の指導など聞く気にならないだろう。

きっと、今の日本社会というのは、大人までが精神的に幼児化している社会なのではなかろうか。

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